見島牛とは -みしまうし-

 

 
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山口県萩市の沖、40〜45k,日本海に浮かぶ孤島,見島に生息してきた牛です。
この牛だけが純粋な和牛の姿を守り続け、
昭和33年(1928)に国の天然記念物に指定されました。

日本では明治維新になって、牛肉や豚肉を食べるという西洋の食文化がはいってきました。古くから役用牛として飼われてきた和牛はもともと小さかったので、肉の量が取れる大きい牛にしようと言うことから、デボン種、アンガス種、ブラウンスイス種などの海外品種を掛け合わせていった。それが今の和牛です。つまり今の和牛は「雑種」なのです。
食用牛として改良を行うため、外国の品種を導入し交配させていった。その結果、日本古来の純粋な和牛は姿を消していったのです。
ただ唯一、この「見島牛」だけが、和牛の純粋種を守り続けているのです。
現在、見島牛保存会の7戸の農家により約90頭が保護され、育てられています。
食肉用としては、その数わずか年間8〜10頭と非常に希少になっています。
和牛の[霜降り肉]の起源であり、作った霜降りでない自然の霜降り肉。
これこそが、和牛の「霜降り肉」の起源なのです!
「ただの霜降り肉」に満足されない食通の方々をもきっと満足させる本物の極上の肉なのです。

 




 
  日本の牛はもともと朝鮮半島から稲の伝来とともにアジア体陸から朝鮮半島を経て九州や中国地方に上陸したと言われています。
縄文晩期から生弥文化晩期まで時代を遡り、遺跡から牛の遺跡も多数発掘されています。
牛は、牛車に使われたり農作業としての役牛として活躍し、一般の歴史書に出てくるのは平安時代ですが、それ以前の「日本書紀」の記述にも実はきちんと記載されている。
特に、平安時代には牛は珍重がられており、ミルクは、薬として利用されていた。とくに牛乳は栄養価の高い薬として、天皇や貴族の最上位の人間しか口にできなかった。
その後、牛そのものが廃用時にボツボツ食用にもなったが、江戸時代の綱吉時期(生類哀れみの令)以後は明治時代になるまで食用になることがなかった。
明治時代以後、積極的に牛肉は食べられるようになった。
昭和7年最盛期には約700頭も飼育され、年に1回の子牛市場も開かれるなど流通も盛んに行われていました。しかし、農業の機械化により役用牛としての地位を失い、急激に頭数は減少しました。
このため昭和42年に見島牛保存会が発足、増頭に取り組み始めました。
昭和49年には31頭にまで減少しましたが、昭和53年から増頭傾向に移り、現在99頭と増頭しています。